10月16日2018年

事実の回復に向けて。朝6時に目が覚め、7時まで二度寝する。スタバに向かい、9時までスピノザを読解する。スタバを出たあと、図書館に向かい、10時のティーチングセミナーのリーディングを印刷する。それに一通り目を通していたらゼミの時間となる。ゼミ室では、ダニエラの近くに座るまいと左端に陣取ったのだが、彼女が何故か普段と異なる左端に来たことで、結局、彼女の隣でゼミを受けることになった。正面にはクリス、正面右にエイブラム、右にはヴァレリーがいる。右にはジョン、シャオ、タリと続く。エヴァンは欠席である。ゼミはティーチングでのグレーディング作業に関する話題であった。ある研究によれば、時流によってアメリカの大学におけるグレーディングの厳しさが変遷しており、近年は、学生の満足度に応えるために成績の付け方があまくなっているそうである。2週間に1度50部の哲学エッセイを採点する私としては、どのような点について学べるだろうかとゼミ中に思案し、文章執筆の水準を保つためにきちんとした採点をすべきだと納得した。ゼミが終わるとシャオと図書館地下のカフェでコーヒーを買い、EMUで飲むことになったが、EMUがあまりに混んでいたため、結局そこでサブウェイのベジーディライトを食べた。哲学科に戻ると同僚が4−5人いて騒がしく、読書に集中できなかった。

13時からはジョンソンの大講義があった。今日はウィリアム・ジェイムズの「信じる意志」の講義だった。講義そのものよりも、シャオが、哲学科にカントを教える人がいないのは知的な堕落だとなぜか息巻いていたことが印象に残っている。50分の講義を終えると、キャンパスの反対側の建物でスピノザのゼミが2時間ある。ここ最近、私のスピノザの読解がゼミの進度に追いついていないという気持ちがしている。ゼミの最中に質問が飛んでも、質問の意味がよく分からないのである。スピノザを真剣に読む機会などおそらく人生で今後ないという気持ちがあるため、この事実に若干の焦りを感じる。3時50分にゼミが終わると、ジョンとシャオとスピノザについての雑談をしばらくしたあと、5時半過ぎからFallen Skyでビールをのみ、ピザを食べた。7時からジョンソンの講義のための映画を鑑賞するための時間つぶしである。ヴァレリー、シャオ、ジョン、クリスを含めた5人で雑談をした後に映画を見た。

Fallen Skyで雑談している最中、私が最近感じている気持ちの変化が表面化する一瞬があった。二枚目のピザを注文し、それが出来上がるのを待っていたところ、店員が私ではなく、シャオの名前を呼んだのである。つい数週間前も、クレア・ピッカードがシャオをシュンジと呼んだことで私は首を傾げた。10月13日にスタバで酔っ払って潰れている男を見て、男として社会化されるというのは本当に嫌なことだ、下劣だ、と思った感覚と似ている。男は、醜態や恥をさらすことが許されるが、女は許されない。酔っ払った男に声をかけていたのは女だ。私はdecencyのようなものを信じる。人に示す態度も一種のアートだとすれば、動物のような態度を示すことが許される男の文化に嫌気がさし、女の文化の高貴さのようなものを感じるとともに、その大変さを想像することとなった。最近、日常生活での細かな疑問が社会問題と自分の中でつながることがある。無論、些細な出来事に過ぎないのだが、どうしても注目してしまう。私はこれを「気のせいだ」とか「気にしすぎだ」と無視してはならないと最近考える。