哲学を勉強するためにオレゴン州にて

留学、アメリカでの生活、哲学、大学院生活、等々。

「一体これにどれだけ意味があるだろうか」と問うたときの一応答

シャオと昼食をとった。彼がまた鋭いことを言っていた。自分自身のやっていることの意義や意味を見出だせないときの解決策は、それをやめてしまうことではない。その選択をすることは、あたかも、ヴァイオリン弾きが、ヴァイオリンがうまく弾けないからといって、ヴァイオリンを弾くことをやめ、ピアノを弾こうとするようなものである。ヴァイオリン弾きがヴァイオリンを弾くことをやめてしまったら、ヴァイオリンはより無意義・無意味になるだろう。

寿司職人は、おいしいフランス料理を食べたとき、「よし!フランス料理人になろう!」と思い立つことは少ない。むしろ、寿司をおいしくするところに注意が向くはずである。同じように、「自分自身のやっていることにどれほど意味があるだろうか」と問うたとき、小手先の技術やラベルによって問いを覆い隠すのではなく、疑念を生む営みそのものに、腰を据えて真正面から取り組んでみるといいかもしれない。