11月2日2018年

成熟した古代ギリシア哲学研究者による『ティマイオス』に関する研究発表。「ティマイオス的豊かさ」などと言って思索の豊かさを追求したいと昨年は息巻いたが、その豊かさに辟易した。古代ギリシア哲学の専門家の豊かさとは、キリスト教的な世界観にすらも囚われずに生死、不死、視覚などについて語るところであり、要するに、現代の常識とはかけはなれた思索ができるところである。大抵の者は、現代的な経験に共鳴する次元でしか考えられないが、哲学史を徹底的に最初まで辿り直した哲学研究者は、それらが生まれた思想的起源を知っているために距離を置くことができ、さらにテクストに基づいて議論できるわけである。恐ろしいほど豊かだと思うのだが、それに耐えられる度量が自分にあるかどうか正直分からない。私の求める豊かさとは、そういうものなのだろうかと思わず問うてしまう。私が求める豊かな思索とは、それでも選択してゆき、異なる仕方で世界に参加する可能性のことであって、素人には到底届かない種類の学説史における大作ではない気がする。その点、大抵のフランス哲学は衒学的に見えてしまう。