気分と調律(8)

現代に活躍する職業思索者の動向は、書物として権威を持って出版され、その言語圏の思索は標準化される。そして、何を語るにしても、職業思索者の権威的な星座群を使わなければ「分かっていない」と言われる。流派が乱立した21世紀においては、それぞれで系譜が肥大化し、それを学び尽くすだけでも大変な時間を要する。そのため、一つの系譜の学徒は、大抵、探究を始める前にまず党派に入信し、そこから課題を見つけることが多い。どの課題に取り組むべきかという問いに関し、哲学の教師たちは、「あなたが自由に考えてくれ」という若者の未来への期待を口にするが、それは無責任の裏返しでもある。特に、日本においては、一個人による語りを真剣に取り合うことが忌避され(「それ、あんたが勝手に考えているだけでしょ」)、最初に選んだ題材と心中することを推奨することが多い。無論、若者のわがままを滅却することで業界の一部に迎え入れ、そこで知的技法を開発する職人気質は、日本で自らと対峙する一つの重要な形なのかもしれない。丸山真男の『日本の思想』や鶴見俊輔の著述を読むと、それが20世紀から継承されてきた正統な伝統なのだと感じるとともに、むやみに動かずに構える姿に、一種、仏教的な懐の深さを感じる。しかし、自分自身の状況とその応答を中座し、伝統や規律へに順応を一義的にするというのは、バーンスタインや、それを触発したアーレントの言い方をすれば、「思考」の放棄を成熟の証とするようなものである。自己の関心事を大々的に推進することを勘違いだとする発想は、知り合いのサラリーマン戦士の態度にも共鳴するところがある。

さて、思索を始めるにあたり、当初からこだわりや課題を持つ者や、課題を方法論的に構築することに長けている者は、自分自身の一面性に折り合いをつけて系譜を見つけ、すぐに具体的な課題に取り組む。しかし、それが上手ではない者は、職業思索者の星座群にいつまでも感情移入できない。すでに業界で活躍する者からすれば、これは「甘い」証なのだが、そもそも感情移入する必要があるのだろうか。私が思うに、権威的な思索の星座群の方法や体系を理解しなくとも、思索には価値がある。いや、勝手に躍動する自由な思索が生きているからこそ、方法や体系性は、その補助として意義を持つと思う。と、このように私が考えること自体が一つの思索の傾向性である。方法論的な課題設定に私が感情移入できない理由は、人工的に課題を設けることにより、そこから始まる思索をそもそも成り立たせる土壌を無視することになるように思えるからである。土壌を無視し、潮流に乗るだけの思索は、匿名の文書作成のように感じられ、取り組む気概が見いだせないのである。

他者に与えられたあらゆる思索の課題に疑問を呈する傾向性においては、等身大の各個人から始めるほかにない。個人とは、社会に対立する単位ではなく、固有の歴史のことである。歴史が深まれば深まるほど、個人は差異化する。こう書かなければならない理由は、思索の単位が「個人」であるとは限らないからである。たとえば、近代以前においては、共同体は、一つの物語を全員で共有しており、各個人は、それを演奏する駒に過ぎなかったが、近代的自我の目覚めた思索者においては、その口から発せられる言葉は所有されるようになった、と読んだことがある。要するに、思索は、必ずしも所有されるべき個人の次元で考える必要はないが、特定の環境下において、時間を経れば経るほど他者から差異化されていく歴史という次元においては、結果的にではあるが、個人と呼ばざるを得ないと思うわけである。たとえば、塩分をとりすぎる者は高血圧になる。「個人」言説を嫌う者は、この事実に対し、食べ物の循環や社会構造の矛盾についての思索をする。しかし、どう理屈をこねても、実際に食べ物を食べて心臓発作を起こすのは当人である。これは自己責任論ではなく、単に具体的な帰結である。そして、塩分過多による不健康という事実と、その事実に関する個や構造の功罪は別問題である。これと同様に、仮に思索者が一貫して社会構造について語っていたとしても、その人自身が具体的にキーボードに文字を打っている事実は疑いようがない。

等身大の個人が思索を成熟させる様相は、芸術家が表現を成熟させる様相と親近性がある。宮崎駿を例に考えてみたい。宮崎駿のエッセイ集を読むと、アニメーターを志すきっかけとして、10代後半に観て感動した『白蛇伝』がよく言及される。彼は、人生を揺さぶられるような体験を堺に、ある表現様式に憧れるようになったわけである。宮崎は、そうした作品に出会うと、それに執着して穴が開くほどに吟味をし尽くし、その暁に、欠点ばかりが目につくようになるそうである。その不満を端緒に「私ならばこう造る」というこだわりが生まれ、それを実際に表現するわけである。

若い頃の経験が、その人のコミットメントを規定するというのは、アニメ制作に限られたことではない。それはスポーツかもしれないし、音楽かもしれないし、小説かもしれない。経験が先か、表現が先かというのは擬似問題である。それらは相互依存的に行き来する。経験がなければ表現は生まれないが、その人の営みが一つの表現様式へと成熟するのは、そうした原体験に依拠する。原体験と書くと、何やら神秘的なものに思えるが、これは卑近な実感の問題である。たとえば、おいしいラーメン屋に行くと、次のラーメン屋に行ったとき、あそこの方がおいしかった、と感じる。このように、過去の経験が自らの次の経験を導く指針となる事実を原体験と呼んでいるだけである。しかし、大抵、原体験は、平凡な経験においては生まれない。繰り返しの快楽や苦痛が強烈であることにより、その次に何かをするときに立ち戻らされるのである。好きな料理やアニメの話は個人的趣向の問題で収まるが、大きな社会的事件が原体験になることもある。たとえば、戦争が終結すると、それに関する表現物ー手記、小説、絵画、漫画、映画、哲学、などーが無数に産み落とされる。これは社会全体を巻き込む事件だが、上記の個人についての観点からすれば、そこで産み出されたものは、個による自らとの向き合いの成果である。

豊かな表現をする際、表現者は単に原体験を思い出すだけではない。結果的に原体験として繰り返し思い出される過去の一点は、その状況と、そこから広がる歴史によって形成されている。脳の記憶とは、再生機能ではなく、再構築の機能である。そもそも、何かを思い出すためには、目の前の状況の中に、過去を想起する素材がなければならない。たとえば、後天的に恐怖症(フォビア)に陥った人が、特定の状況に直面すると、嫌悪感や恐怖を感じるのは、過去の経験で類似した経験を「練習」したからである。世紀の大恋愛をして裏切られた女性が、男性恐怖症になる、という話を聞いたことがある。その女性が怖がっているのは、目の前の男性ではなく、過去の経験から広がる歴史によって結晶化した「男性」なる恐怖対象である。女性が男性恐怖症になったのは、その人が、世紀の大恋愛というコミットメントをしたからであり、世界中には、それを思い出させる事象たる男性が滅びないからである。男性に直面する限りにおいて「男性」恐怖症は「練習」され続ける。

私が思うに、原体験を持つというのは、自ら固執する種類の「恐怖症」的コミットメントを持つということである。宮崎駿自身も認めているように、当時、『白蛇伝』に強く惹かれた理由は、受験戦争の抑圧感を感じていたからである。強い抑圧を感じ、宮崎は、そこから逃れたいという強烈な感情を持ったのだろう。彼は、その抑圧を「練習」することで、『白蛇伝』に直面する準備をし、直面したあとは、抑圧から逃れる典型的な経験としてアニメーションが定着することになった。そして、新たな状況で恐怖症が再構築されるのと同様に、アニメと触れ合う度に、素晴らしい経験としての『白蛇伝』が思い出される。アニメーターにもなると、毎日、「アニメ」に関する歴史を深化させることになるので(新しいアニメを観る・作画をする・ほかのアニメーターと雑談をする・アニメの構想を練る、など)、その現在の経験が楔となって過去の秩序は結晶化していく。

宮崎を好例にするのは、彼の関心がアニメ業界や自分自身の成功のためだけではなく、文明の行く末などの大きなテーマに向かっている事実と、彼のエッセイ集や作品からは、一種、宗教的な厳しさが読み取れるからである。恐怖症は、特定の対象に固執することによって経験の解釈を形成し、次の経験の指針となる反面、視野を狭める傾向にある。言うまでもなく、固執する経験があると、ほかの事象には気づかなくなる。過去の一点のみが関心の的であると、経験と思索は縮小再生産され続ける。男性恐怖症の女性は、「男性」を自動的に拒否するようになり、女性だけの集団に安住し、心理的構造が固まる。それはそれで結構であり、そもそも、経験が深化するというのはそういうものだと思うのだが、この経験と認知の運動に身を任せることは、思索と探究の豊かさという点においては、手垢のついた成果物を再生産する条件である。恐怖症の例の場合、この女性の「男性」に関する思索の源泉は、極めて狭い素材群に限定されているため、当初、嫌いになった「男性」像から変化することがない。

これを宮崎とアニメーションに置き換えると、次のようになる。宮崎は、表現手段においては、アニメーションに極めて狭く限定されているが、その関心の間口は非常に広い。仮に彼が『白蛇伝』だけに固執するようになっていたら、『白蛇伝』の解説者になったり、そのパロディをする者になっていただろう。しかし、彼はあくまでも、世界に参加する一人の人間としての自覚が強く、その動向に関心を持っている。彼が構想する表現物のテーマになるのは、たとえば、飛行機、戦争、文明と自然、生命などである。彼の想像力が特定のアニメの型に囚われないのは、彼が感情移入する対象が、20世紀が彼に与えた豊かな素材群(新聞記事、書物、芸術作品、など)だからである。昨今のアニメを観ると、宮崎のような文明的なテーマではなく、日常生活や現実の機微を描くものが多い気がする。アニメで描かれるテーマ性は、帝国の興亡や自然の脅威よりも、たとえば、「教室」、「制服」、「疑似・理想世界」、「友達との雑談」、「趣味」などが目につく。こうした世界を表現する若い世代は、感情移入する素材群が、宮崎とは異なることが一目瞭然である。宮崎がそのエッセイでよく批判するのは、陳腐で使い古された表現と展開である。表現が予想の範囲内に収まる理由は、業界の先人の様式をそのまま援用するからである。河を描くために河に入らない。木々を描くために森に行かない。業界の先人と似通った表現しかできない者は、感情移入する素材群が、その業界内に収まっているわけである。その積み重ねにより、物語の展開、キャラクターの雰囲気やセリフ、建物の描き方などが似通ったものになり、表現で扱うテーマのスケールが小さくなっていく。しかし、アニメーション表現に制約はないはずである。アニメという媒体で描くことのできる範囲はもっと広いのに、それを模索せず、そこらの他人でも描けそうなものの再生産に甘んじるのは、アニメーションの魅力と未来を縮減している。思索においても全く同様である。仮に表現手段が狭く限定されたとしても、学ぶ対象すらも、特定業界や、過去に一度直面した素材に限定されていると、その人の表現は手垢がついたものとなる。そして、その限りにおいて、思索の魅力と未来は縮減されると思う。

宮崎は大抵のアニメは見るに値しない、と辛口である。それは、この種のこだわりが常軌を逸しているためである。アニメに対する強烈なこだわりが失望の裏返しとなり、何を見ても、予想の範囲内の「答え」として陳腐に見え、自分自身も、中途半端にまかり通る作品が造れなくなる。これが病的に深化すると、どれほど優れた作品を造ろうと、それに満足できなくなるわけである。どうしてここまでこだわるのか。宮崎は、アニメーション制作・鑑賞において自らが求めているのは、1年に1本でもいいから人生を揺さぶられる作品に出会うことだ、と言っている。それは自らの原体験を投影しているわけだが、要するに、アニメーション表現の持つエネルギーや自由さを求めているのである。

この、未だ発見され得ぬ次の表現と出会うための徹底的な自己批判は、宗教における否定的な教えと共鳴する。たとえば、「地獄」のような概念は、気づきにくく、壊れやすく見えにくい、「神的なもの」に関心を向ける装置である。あるいは、土地、家族、金、持ち物、名誉などを捨てるべきだとか、最も身近な友に迫害されたとしても追求を続けるべきだ、と異常な執着を推奨するのは、今現在の自分自身が未だ足りない存在だということを知らしめ、その先には未踏の経験があるはずだという考えを定着させるからである。自己批判の条件や理由はともかく、そこに共通するのは、信徒は、徹底的に現在の素材群に順応せず、その都度、陳腐な世界への参加の彼岸を希求するようになる、ということである。それが成功したか否かという観点は、他者評価の問題である。だが、そうした自己との対峙において表現活動を続けていると、少なくとも、周囲の素材と作品の群に順応しない自らの表現物の航路が生まれる。その航路が独特の気分を醸し出すように成熟すると、その群に固有名詞をつけざるを得なくなる。言い直せば、歴史はラディカルに個人化したのである。

デューイのような魅力的な思索も、この種の厳しさを背景としていると思う。その意味において、デューイ自身と、それを継承する者たちは、毛色が少し異なる気がするわけである。アメリカ系の系譜で思索をする者は、伝統主義やエリート主義を嫌い、多様性を愛し、協同を好む。その意味で、この系譜はフットワークが軽いことが多く、世界に豊かに参加する思索者をたしかに育てる。しかし、その功罪とは、教義嫌いの裏返しとしての伝統軽視による自己解体、現在主義、そして、多様性に後退することによる、それでも答えを出そうとする思索の気概の消失である。さらに言えば、伝統軽視と状況重視の傾向性により、その場限りの曖昧な言葉以外に発することができなくなったり、きちんと言論をする能力が育たないままに成熟したりする者も少なくない。

デューイの著述を読むと分かるが、上述の主張内容はともかく、彼自身は哲学史・社会情勢、最新科学、歴史・文学や詩などを非常によく勉強していた。さらに、最晩年の1943年、アメリカ政府は、彼は共産主義者の可能性があるとし、調査員を彼の自宅に派遣したが、その報告書に書かれたのは次の文言である。「見たところ、対象が行う唯一のことは、書くことである。…対象の著述は膨大であり、複雑で、難解である。彼を読むのは一仕事である…」 と。この挿話と彼の著述から想像するのは、彼は積極的に未踏の世界から学ぶ者でありながら、あくまでも、表現手段を極めて狭い領域に限定した思索者であり、毎日厳しく学んでいたということである。

無論、この厳しさの必要性を他者に説くことはできない。なぜなら、その厳しさは歪みの根源でもあるからである。平板で、陳腐な世界が成り立っており、そこに安住できるからこそ、少数のラディカルの航路は魅力的にうつる。平板で、陳腐な世界を失ったラディカルの世界は、差別と搾取の世界である。宮﨑駿という人は、おそらく友達にして気軽に話せる種類の人間ではないだろう。もう少し分かりやすい例を出せば、ラディカルな自己否定が一人勝ちした宗教の世界は、それに関する豊かな表現物(絵画・音楽・人格、など)が生まれる背景に、異端者や平凡さを糾弾し滅却する暴力や、自己批判の末に心理的・社会的に崩壊する見えない個人が溢れているだろう。繰り返せば、ラディカルな思索や探究にコミットする者は、平凡さ、陳腐さ、紋切型をどれほど嫌悪しても構わないが、自らの魅力的な躍動そのものが、それらとの対比において行われているだけでなく、支えられていることを忘れてはならないと私は切実に思う。

さて、私はすでに思索という限定した手段にこだわりを持っている。それでは、私はどのような思索の方途を求めているだろうか。デューイとハイデガーの対比から考えたい。20世紀のはじめ、シカゴ大学に留学してデューイやミードに指導を受けた田中王堂は、日本に帰ってきてから、等身大の自己で実験し、その成長を確かめるべきだという種類に文章を書いたことで、桑木というカント研究者に「それは哲学ではない」論争を仕掛けられている。結局、デューイがのちに「哲学の誤謬」と呼んで乗り越えようとした思索の方法とは、細かな理屈はともかく、原理的な伝統主義である。伝統重視の哲学を批判的に捉えることこそがデューイ哲学の開始点であるので、自らこそがギリシアより継続する哲学を継承しているのだと自負する者からすれば、それは、哲学をやめる宣言と同義である。ある学会の懇親会でフランス人に対し、どうしてヨーロッパ外の思想を読まないのかと尋ねたところ、「ほかにするに値することがあるから("There are better things to do")」と返されたことがある。無論、デューイからすれば、彼が説くところの哲学こそがギリシアに立ち戻る思索の方法である。ギリシア文化でギリシア人が思索をしたことで、豊かな概念群が培われたように、現代人は現代社会の中で思索をすればいいではないか、ということである。言い換えれば、自分自身の生きる世界で思索をして共有する営みを現代にラディカルに再構築するのがデューイの試みである。それを自ら実演するように、デューイは、最新の動向に機敏に反応しつつ、その妨げとなる思索の系譜の批判活動を使命とした。

デューイはハイデガーについてほとんど語らなかったが、ハイデガーの著述を見せられたとき、次のように形容したそうである。それは、私のように話す努力をするシュヴァーベン(ドイツの行政管区)の農民のようだ、と。実際、ハイデガーの『存在と時間』とデューイの『経験と自然』は、根本的に異なる思索のプロジェクトを持っているにもかかわらず、テーマ性は似ている。と、デューイの発言の是非はともかく、それは少なくとも、ハイデガーがドイツの片田舎で生活をする農民だった事実を思い出させてくれる。ハイデガーの著述には権威的な雰囲気があるので、「哲学者」イメージに引きずられ、読者は、彼の主張内容を神秘化する傾向がある。しかし、等身大の個人としてのハイデガーを思い出すと、その思索内容は、一般的な家庭で、最新の科学技術についての理解が追いつかない父親が苛立ちを隠せず、「スマホを使う人間など大したことはない!」と娘を非難する様相とそう変わらないように思えるわけである。ハイデガーが大地や森林などの比喩を好んで使うことや、近代文明に対して過度に批判的であるのは、彼の思索が本質的であるとか、深いからではなく、単に、彼がどうしようもない田舎者だったからなのである。

ハイデガーが、哲学史の講義をしつつ、ドイツの片田舎で砂利道を歩いているとき、デューイは、世界中へと関心を広め続けた。デューイは、思索が成熟する60歳前後になっても、居心地のいいはずのアメリカに閉じこもることなく、当時、学生による革命運動が起こっていた中国に渡って現地人と交流した。そこでは、民主主義の先生として歓迎され、講義や情勢分析を通じ、「社会」に関する自らの思索を研鑽した。結局、彼は、2年もの間、中国で過ごすことになるのだが、単純に言って、60歳になっても全く異なる文化圏に渡って学べる気概に感服する。

アニメーションの話につなげて言えば、特定の業界に留まり、そこに収まることを希求したのがハイデガーであり、表現媒体を限定しつつも、広い世界へと関心を広げて未踏の表現を求め続けたのがデューイである。ハイデガーの著述の躍動は非常に魅力的なのだが、それは、アニメ業界で言うところの先人のパロディに過ぎないことになる。アニメ業界においてパロディやオマージュで盛り上がるのは、すでにアニメが好きなオタクである。しかし、アニメ表現を豊かにするのは、パロディに気づいてニンマリする身内ネタではなく、その予想を超える自由な表現である。そういう意味において、ハイデガーの著述は、すでに思索と哲学史に関心を持つ私としては読んでいて面白いが、そこに固執することは、思索の自由な表現を奪うことになると思うわけである。ハイデガー的な傾向性をあまりに真に受け過ぎたとき、思索において重要なのは、テクストの伝統の守り手が、その都度、現れることであり、その範疇で新しいパロディが行われることになる。いわば、テクストが演奏される者が再生産され、その伝統における洞察さえ生まれ続ければ、誰が思索をしていてもいいのである。たしかに先人のテクストは最も優れた教科書であると私も思う。そして、無論、単に私が「存在」なる言葉に固執して思索をするように教育されてこなかったというだけなのだが、それでも否定しようがないのは、そうしたテクスト群をいくら読み解いても、存在の始原が分かるようには思えないことである。存在の始原が垣間見られるのは、読書をし、歴史を知り、自分を理解し、他者の人生を知り、それでも勇気を持って世界に参加し続けることにより、過去が私に与えた偏見に対し、私が意識的に対峙するときである。私が見たいのは、等身大の個々人が、思索という限定された表現媒体を駆使し、未踏の世界と対決する過程で産み落とした格闘の結晶物なのである。