1月8日2018年

問いを持つことができないのは、たしかなもの、感情移入しているものの次元でしか問うていないからである。問いを育てる良い練習になるのは、全く考えられないことについて「答え」を模索するときである。たとえば、目の前の鉛筆について書けと言われたら、それを観察すれば事足りる。しかし、その鉛筆について、今、気づいていないことを書け、と言われたら、問いが道標となって「答え」へと動き出す。言い方を変えれば、この状況で道標となるのは問いだけなのである。